岩屋毅は、石破政権になり外務大臣としての役割を担うことになりました。
しかし、岩屋氏はその英語力について多くの注目を集めています。
今回は岩屋毅について調べたので紹介します。
岩屋毅について
・岩屋毅が政治家を目指したきっかけ
・岩屋毅の生い立ち
・岩屋毅の若い頃
・岩屋毅の経歴
岩屋毅は外務大臣としての活動
・岩屋毅の英語力には問題が?!
岩屋毅について
プロフィール
名前 | 岩屋毅 |
出生地 | 大分県別府市 |
生年月日 | 1957.08.24 |
出身校 | 早稲田大学 |
前職 | 鳩山邦夫衆議院議員秘書 |
所属政党 | 自民党 |
大分県別府市に生まれた岩屋氏。
鹿児島のラ・サール高等学校では、偏差値77という高い学力を誇りました。
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生徒会長にも選出せれていたみたいだよ。
早稲田大学在学中に元総理大臣である鳩山邦夫氏の事務所で選挙活動のアルバイトを経験します。
大学卒業後は鳩山氏の正式な秘書として政治の世界に足を踏み入れるきっかけになりました。
29歳で大分県議会議員に当選。
以降の衆議院議員としての活動に繋がっていきます。
岩屋毅が政治家を目指したきっかけ
父の啓さんは当時、大分日赤病院につとめる医者だったそうです。
父の背中を追いかけて医者になる道もあったそうですが政治の道をいくことになります。
政治家へのきっかけ、、
父の啓さんは医者として働きながら大分県議会議員として活躍しました。
岩屋氏が大学2年生の時、ふるさと別府では父の啓さんが3度目の県議会議員選挙をひかえていました。
岩屋氏は大学の休みを利用して別府に帰り、父の選挙活動を手伝いながら応援したそうです。
しかし、、3度目の選挙で落選。
岩屋氏は
“政治を志そうと決意しながら何もやっていない自分のふがいなさを父の落選によりつきつけられた気持ちでした。この時の父の敗北が将来私を政治の道に大きく突き動かすことになった”
と語っています。
岩屋毅の若い頃
幼少期
岩屋氏はとにかくやんちゃな男の子だったそうです。
当時流行っていた月光仮面を真似してお面や風呂敷を被り遊んでいたのだとか。
そのまま近所を走り回るものだから、両親によく叱られたそうです。
今の岩屋氏からは想像できないですよね。
この自由翻弄のところが、「やりたいことをやる」岩屋氏の政治家への一歩なのかもしれません。
小学校から中学校時代
地元の別府市立青山小学校、別府市立青山中学校を卒業します。
小、中学校時代から頭がよく成績優秀だったそうです。
中学時代はサッカー部でスポーツに熱中しながら生徒会としても活動していたそうです。
別府市立青山小学校
別府市立青山中学校
高校時代
岩屋氏は高校時代、親元を離れて鹿児島のラ・サール高校に入学します。
偏差値77を誇り、毎年東大合格者を多数輩出しています。
岩屋氏は1年生の時に、生徒会長選挙に立候補して当選しました。
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カリスマ性とリーダーシップがあったんだね。
当時のラ・サール高校は受験勉強一色の校風だったそうです。
それではつまらないと感じた岩谷氏は学校のマーク入りのTシャツやペナント、タオルを作り、生徒や父兄に販売しました。
その財源を基に秋の体育祭と文化祭を盛大に開催することに成功したようです。
大学時代
父の啓さんの影響もあり、早稲田大学政治経済学部政治学科に入学します。
岩屋氏は在学中に、多くの政治家を輩出している「早稲田大学雄弁会」の門をたたきました。
選挙のアルバイト等に明け暮れる生活を送ることとなりました。
岩屋毅の経歴
昭和62年 大分県議会議員初当選
平成2年 旧大分2区より衆議院議員初当選
平成5年 選挙では落選
平成8年 選挙では落選
平成12年 衆議院大分3区より当選し再起
平成19年 外務副大臣に就任
平成22年 自民党国防部会長
平成30年 防衛大臣に就任
令和6年 外務大臣
岩屋毅は外務大臣としの活動
日中関係の強化
2024年の年末に岩屋外務大臣は中国を訪問しました。
王毅外相と会談し、福島第一原発の処理水放出など日本産水産物輸入の早期再開 日本人の安全確保などについて話したそうです。
両国の経済交流を拡大する意向が示され経済的な結びつきを深めることが期待されます。
日米関係の強化
2025年1月7日、岩屋外務大臣はアメリカのブリンケン国務長官と東京都内で会談し、日米同盟の強化に向けた協力を進める重要性を確認しました。
岩屋氏は
“「今後も日米同盟を新たな高みに引き上げたい」”
とコメントしました。
岩屋毅の英語力には問題が?!
岩屋氏はラ・サール高校、早稲田大学を卒業しており十分な英語教育を受けていました。
これにより、基礎的な英語力や読解力は十分にあると考えられています。
では、なぜ岩屋毅の英語力には問題があると言われているのか?
それには2つの理由があります。
岩屋氏は留学経験や海外勤務の経験がないため、実践的な英語力には限界があるとの指摘もあります。
英語スピーチは文法的には問題がないものの、流暢さや発音、即興力に関しては改善の余地があるとされています。
特に、同時通訳を活用しながらのスピーチが多く、通訳なしでの会話には不安が残るという意見もあります。
このようなことから岩屋氏の英語力に疑問視の声があり、外務大臣として大丈夫なのか心配になりますね。
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