政治団体「12(ワンニャン)平和党」を設立し、代表に就任したデヴィ・スカルノさん。
7月に予定されている参議院議員通常選挙での国政進出をめざし出馬予定とのことです。
そんなデヴィ夫人の生い立ちや弟について紹介します。
デヴィ夫人について
・デヴィ夫人の生い立ち
・デヴィ夫人と弟は誰?
・デヴィ夫人と弟との関係性
・姉弟のエピソード
デヴィ夫人について
プロフィール
第二次世界大戦の真っ只中、東京都西麻布で生まれたデヴィ夫人。
父は、大工の棟梁をしており裕福な家庭ではありませんでした。
しかし、インドネシアのスカルノ大統領に見初められ1962年に結婚、大統領夫人となります。
これにより、現在のデヴィ夫人のイメージが作られました。
デヴィ夫人の生い立ち
1. 幼少期から青春時代
1940年2月6日に父店兵七郎と母・政子との間に生まれます。
太平洋戦争もあり、実家は裕福ではなく、むしろ貧しい家庭環境であったそうです。
学生時代
地元の港区高陵中学を卒業したデヴィ夫人
東京都立三田高等学校の定時制に進学。進学と同時に150倍の難関とされた千代田生命保険(現・ジブラルタ生命保険)に入社しました。
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畳に額を押し付けてくれてまで学費を用意してくれた両親の助けになりたかったみたいだよ。
しかし、高校に進学してすぐに父が他界し、病弱な母親と弟を支えるために、保険会社で働きながら、昼休みや休日も近所の喫茶店でアルバイトをしまた。
しかし、それでも生活は苦しく、銀座の高級クラブでホステスとして働きながら、生計を立てていました。
当時のデヴィ夫人の画像
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働いていた高級クラブでは人気上位であったデヴィ夫人は来日中だったスカルノ大統領に見初められます。
2. インドネシア大統領夫人へ
19歳の時にスカルノ大統領と出会ったデヴィ夫人は、大統領に見初められたことについて不安がなかったか?という質問に
“私は大統領に見初められた。これは運命であり大統領についていくとこが私の人生だと思った”
と語っており1959年に日本を旅立ちます。
1962年にスカルノ大統領の第三夫人として結婚し、その美貌で政治の場でも活躍し、インドネシアと日本の架け橋として国際的に活動。
3. スカルノ大統領の死後
1970年スカルノ大統領が死去した後は夫の死後もインドネシアに留まり、その後は世界を転々としながら過ごしました。
4. タレント・文化人としての活躍
1980年代:日本に帰国し、タレントとしてテレビ出演を開始。
日本ではバラエティ番組やトークショーに出演し、辛口コメントと豪華な衣装で注目を集めています。
デヴィ夫人は波乱万丈の人生を送ってきた一方で、タレントとしての成功を収め、現在も日本の芸能界で活躍しています。
デヴィ夫人と弟は誰?
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引用元: https://mamastar.jp
デヴィ夫人の弟の名前は根本八曾夫(やそお)さんというそうです。
生年月日は公な情報がないため年齢は分かりませんが、
“デヴィ夫人が歳の離れた弟”
と話していたことから5歳くらいは年齢が離れていた可能性が高いです。
八曾夫さんは現在、亡くなっています。死因は自殺のようです。
デヴィ夫人がスカルノ大統領について行ったのは1959年。当時は、復興も進み近代社会に近づいていましたが、他国の人に嫁ぐことは売国行為と考えられていました。
このため、病弱の母と弟は世間やマスコミから強烈な批判を受けたのです。
そのこともあり、デヴィ夫人がインドネシアに旅立ってから2年後に、八曾夫さんは自殺しました。
デヴィ夫人は
“弟の亡骸を見たときは「神様!」ではなく、「悪魔!」と叫びました。”
と語っています。
デヴィ夫人と弟との関係性
デヴィ夫人は、歳の離れた八曾夫さんの親代わりだったと言われています。
15歳で父を亡くし、病弱な母は働けなかったため、デヴィ夫人が弟の学費や生活費を稼ぎました。
八曾夫さんも外で稼げない分、家庭の手伝いをしながら2人で協力し合いながら、母を支えていたそうです。
デヴィ夫人は弟が自殺した後に、
“弟を自殺からなんとか救えなかったか、それは本当に私が一生十字架を背負うくらい苦しんだことですね。”
と語っており姉弟間で信頼関係を築いていたからこそ出てきた発言だと思われます。
姉弟のエピソード
デヴィ夫人と八曾夫さんの生前のエピソードは残念ながら検索しても見つかりませんでした。
しかし、ジャカルタにある軍事博物館はヤソオ宮殿と呼ばれ建物があります。
デヴィ夫人が23才の時にプレゼントされた広大な土地に建てられたバリ風の建築物であり、デヴィ夫人の邸宅でもありました。
弟の名前にちなんでこの名前をつけたことは言うまでもないでしょう。
姉弟の絆を感じられるエピソードですね。