“北の富士勝昭さん死去”死因はなんだったのか?!心疾患を患いながらもNHKで解説を続けていた!

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大相撲の元横綱でNHKで解説をしていた北の富士勝昭さんが11月12日に亡くなっていたことがわかりました。




この記事でわかること

北の富士について
・プロフィール、戦績
・相撲を始めるきっかけ
・相撲人生

死亡原因
・癌で亡くなったのでは?
・心臓系の病気?
・認知症?
・老衰?

プロフィール・戦績

北の富士勝昭プロフィール

所属部屋出羽海→九重
本名竹沢 勝昭
横綱在位昭和45年3月 〜 昭和49年7月
出身地北海道旭川市
誕生日昭和17年3月28日
身長185㎝
体重135kg

戦歴・受賞歴

幕内優勝10回
十両優勝1回
殊勲賞2回
敢闘賞1
技能賞3回
金星1回

生涯戦歴 786勝427敗69休(105場所)
幕内戦歴    592勝294敗62休(64場所)    日本相撲協会参照




相撲を始めるきっかけ

北の富士は小学校・中学校と野球に熱中していました。中学時代はエースで4番。甲子園常連の北海高校からスカウトが来ていたほどでした。

しかし、故郷・留萌で父の経営する料理店に立ち寄った横綱千代の山から直々に「どうだ、相撲をやって、東京見物をしてみないか」と声をかけられ、相撲に興味を持ちます。これがきっかけで相撲の道を歩むことになるのです。

相撲人生

中学卒業後に入門。175センチ68キロと細い体で当時はもやしと言われ、新弟子検査に落ちてしまいます。しかし、「自費養成力士制度」によって前相撲に進むことができ体重制限をクリアしたみたいです。

57年に出羽海部屋に入門。十両で史上3人目の全勝優勝。新入幕で13勝2敗の最多勝を獲得します。

1966年に大関に昇進すると出羽海部屋を出て新生・九重部屋に入ります。相撲を始めるきっかけになった人のもとで相撲がしたかったのでしょう。

そしてついに第52代横綱に襲名されます。

1974年引退。引退して九重(千代の山)の逝去により九重親方となり、二人の横綱を育て上げました。

その後、NHKで相撲解説。辛口解説で人気をはくしました。




死亡原因

北の富士は3月から解説のお休みが続いていました。今年の7月場所では久しぶりに中継に顔を出し元気な姿を見せていました。

しかし、そこからの解説もお休みになってしまいます。NHK側は本人の個人情報なので一切情報公表していませんでした。その結果、北の富士さんの死因について憶測が飛んでいます。

憶測1 癌

ネットを見ていると癌で亡くなったのではないかという情報が飛んでいました。しかし、北の富士に癌の罹患歴はなく、元横綱の千代の富士と誤解されたのではないかと考えられます。

憶測2 認知症

7月場所では中継で普段通りの粋なコメントをしていた北の富士。この様子から認知症は考えずらいと思います。また、新入幕報告が「遅い」と返答してることからも認知症ではない可能性が高いです。

憶測3 心臓系の病気

北の富士は2016年末に心臓の手術を行なっています。関係者によると不整脈の手術だったそうで心臓に疾患を持っていたのは確かです。今回亡くなった病院も心臓系の病院であることからもともと持っていた心臓の病気を患いつつ死去されたと考えられます。

まとめ

今回は北の富士の病気について調査しましたが、これという疾患は見つかりませんでした。

関係者の話から「相撲界のために尽くせて良かったと」語っていることから自分の死期は悟っていることから心疾患による死が1番考えられます。

相撲界に多大な尽力をした北の富士のご冥福をお祈りします。

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