百条委員会委員長を務める奥谷謙一氏の生い立ちに迫る

政治家NEWS

兵庫県知事である斎藤氏のパワハラ疑惑を調査するため、百条委員会の委員長を務めているのが奥谷謙一氏です。




この記事でわかること

奥谷謙一氏の生い立ち
・華麗なる一族
・幼少期から高校時代
・大学時代から大学院時代

奥谷謙一氏の経歴
・弁護士時代
・政界での経歴

奥谷謙一氏の生い立ち

華麗なる一族

父(通)叔父(武司・完治)は甲南大学法学部を卒業しています。そんなエリート一家に育った奥谷氏は自然と法学の道に進んでいったのでしょう。

奥谷氏は1985年8月13日に兵庫県神戸市で生まれました。父は自民党の奥谷通で、兵庫県県議会議員や環境大臣政務官、家業である神戸不燃板工業の副社長

マルチな才能を見せていた奥谷通の長男として生まれます。

祖父は実業家で神戸不燃板工業元社長の奥谷謙三です。このことから奥谷氏は裕福な家庭で育ったのは間違いないでしょう。




幼少期

家庭は裕福ではありましたが、奥谷氏のSNSより父が政治家ということもあって幼少期は寂しい思いしたこともあったそうです。

小学生時代

小学校は神戸市立谷上小学校を卒業しています。




谷上小学校は創立100年以上の歴史がある学校で教育目標に「自ら学びとり粘り強く考えていける子」というのものがあります。

奥谷氏の弁護士としての礎もこの時できたのではないでしょうか。

中高一貫校の甲南高等学校・中学校に在籍

中高一貫校の甲南学園に入学

甲南学園は、昔の教育に見られた知識一辺倒の教育に対し、「ひと創り」という本来の教育に立ち返る目的のもと創立されました。「世界に通用する紳士たれ」をスローガンに奥谷さんも学んできたと思います。

この甲南学園は地元でも有名なお金持ちのおぼっちゃまが通う学校みたいです。

地元の有名企業のご子息達が通うそうです。

父も叔父二人も歩んだ道、奥谷氏も「エリートおぼっちゃま」として甲南学園で学びます。

地元では「甲南ボーイ」と呼ばれているそう

しかし、奥谷氏が18歳の時に、父 通さんが神戸市の病院で肝不全のため亡くなります。

甲南大学法学部へ

父の亡くなった悲しみを乗り越え父と同じ甲南大学法学部に進みます。

法学部の偏差値は52〜61です。

甲南大学法学部では一年次から法学・政治学が基礎演習としてあるそうです。

奥谷氏が弁護士以外に政治に興味を持ち始めたのも父の影響と大学時代にあるのかも知れません。

甲南大学大学院法律研究科

奥谷氏は法律研究科で2011年に司法試験に合格しました。奥谷氏が26歳の時です。

この年の司法試験合格率23%で狭き門を突破しました。

非常に優秀で試験を戦い抜く粘り強さもあったのでしょう。

甲南大学大学院法律研究科は2023年10月で廃止されています。

奥谷謙一氏の経歴

奥谷謙一氏の弁護士時代

2011年無事司法試験に合格した奥谷氏は神戸中央法律事務所で弁護士としての道をスタートします。

政界に出た後も客員弁護士として名前が残っているそうです。

政界での経歴

2011神戸中央法律事務所に入所
2015兵庫県議会議員選挙で初当選
2019兵庫県議会議員選挙で二期目の当選
2021自民党兵庫県連青年局長に就任
2023兵庫県議会議員で三期目の当選
2024百条委員会委員長に選出

奥谷氏は亡き父の後を継ぎ自由民主党で政治家になる道を選びます。そして2015年に政界に進出、自由民主党に所属します。

兵庫県議会議員選挙では自民党の所属で初当選を果たし、初出馬にも関わらずトップ当選でした。

その後、現在まで兵庫県議会議員を三期目も務めており、兵庫県では51年ぶりの設置となる百条委員会では委員長を務めています。

まとめ

奥谷氏の生い立ちについて紹介しました。生い立ちを調べてみて奥谷氏には目標に向かって進む粘り強さや信念のようなものを感じました。

今回の神戸県庁パワハラ問題でも、百条委員会委員長として何か強く信じる信念のようなものがあるのではないでしょうか。

また、18日の会見でも「県知事斎藤氏のパワハラはなかった」と発言しています。奥谷氏が叩かれていますがテレビやネットで誤解されているだけなのかも知れません。

今後の奥谷氏の活躍を見守りたいです。

タイトルとURLをコピーしました