元兵庫県知事、斎藤元彦の生い立ちに迫る!政治を志す原点は祖父にあった!

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兵庫県知事選で注目を集めた斎藤元彦さん。

実家は裕福であり、幼少期に祖父の影響で政治家を志すようになりました。

そんな斎藤元彦さんの生い立ちに迫ります。

斎藤元彦さんの生い立ち!
・実家は裕福であった
・祖父が命名

幼少期から学生時代をどう過ごしたのか?
・幼少期から小学生時代
・中高一貫校へ
・大学時代

斉藤元彦の生い立

実家は裕福だった?!

斎藤さんは兵庫県神戸市須磨区に生まれます。

母方の祖父 大澤伸剛氏

須磨区と長田区においてケミカルシューズの製造会社を経営していました。

日本ケミカルシューズ工業組合理事長も務めたことがある大物経営者です。

経営者として成功していた大澤伸剛氏の長男、次男は慶應大学を卒業しており、長男が会社を継いだそうです。

一族で裕福な家庭であったことが伺えます。

そんな祖父大澤伸剛氏から経営の厳しさを学んでいた斎藤さんはいつしか「地上産業を大切にしたい」と考えました。

祖父が命名

元彦という名前は、兵庫県知事や国会議員も務めた金井元彦さんにあやかり命名されました。

金井元彦は斎藤の親族の仲人を務めたこともあるそうです。祖父は金井さんに直接了承を取り斎藤さんに「元彦」と名付けました。

その後、斎藤さんは祖父の応援していた時の知事が金井元彦さんだったことを知り、「自分は知事の名前がついてるんだ。だから知事をやる」と意気込みを語っています。

幼少期から学生時代をどう過ごしたのか?

幼少期から小学生時代

兵庫県神戸市須磨区で1977年11月15日に生まれます。

画像引用 斎藤元彦さんのHP

写真からも分かるように笑顔が可愛い男の子だったみたいです。

斎藤元彦さんには3歳年下の弟がいます。

弟さんも元外務事務次官だったそうで兄弟そろって政治家です。

幼少期から政治家を志すような環境に居たのでしょう。

小学校時代はおとなしく、頭の良いスポーツのできる子だったみたいです。

親元を離れ中高一貫校へ!

小学校を卒業して愛媛県松山市の愛光学園中学校に入学しました。

兵庫県からなぜ愛媛に…と思われますが中学受験に失敗しているそう、、

第一志望であった六甲中学校(兵庫県神戸市)を受験したのですが、落ちてしまい愛光学園中に入学したそうです。

親元を離れ6年間寮生活は大変な思いをしていそうですが、実は「本当に楽しい6年間でした」と語っています。

寮生活を6年間共にした同級生は「親友」となり、今でも年に数回神戸で集まっているそうです。

大学は東京大学へ

画像引用 斉藤元彦さんのHP

1年間の浪人生活を経て東京大学経済学部に入学しました。

大学の同窓には事故物件情報サイトを運営する大島てるがいて、斎藤さんのあだ名は「FENDI」だったそうです。

あだ名の由来はFENDIのマフラーを夏冬問わず着用していたからみたいですね。

小学生時代と違い一昔前のホスト風なチャラい印象だったそうです。

そんな斎藤さんは留年や実家の不況など困難に立ち向かいながらも卒業し、大学時代では自分の進むべき道を見つけたみたいです。

結論

斎藤元彦の生い立ち
・実家はケミカルシューズを
 製造を経営して裕福であった
・祖父が当時兵庫県知事であった
 金井元彦から名前をつける

幼少期から学生時代をどう過ごしたのか?
・幼少期から小学生時代は物静かで
 頭の良い男の子
・中高一貫校へ 第一志望に落ちるも

 愛光学園へ進学
・大学時代
 一浪を経て東京大学へ

まとめ

実家が裕福で東大を卒業して総務省に入省した斎藤さんですが、人生全てが簡単に進んだわけでは無いみたいです。

大きな壁に当たりながらも自ら考え、進み歩んできたからこそ今があるみたいですね。

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