「野球界の独裁者」「メディア界のドン」「政界の大フィクサー」とも呼ばれ自他共に認める権力者であったのが渡邉恒雄さんです。
そんな渡邉恒雄さんも家庭内では愛妻家として知られる一面もありました。
渡邉恒雄さんについて調べたので紹介します。
渡邉恒雄について
・渡邉恒雄の妻について
・渡邉恒雄の両親について
・渡邉恒雄の子供について
・渡邉恒雄恒雄の孫について
渡邉恒雄について
文春より引用
名前 | 渡邉恒雄 ナベケン |
誕生日 | 1926年5月30日 |
学歴 | 東京大学 |
職業 | 読売新聞グループ本社主筆 |
恒雄さんは読売新聞に次席で入社します。
1996年に巨人の球団オーナーに就任。
2005年には読売新聞グループ本社の会長に就任。
輝かしい経歴ですね。
渡邉恒雄の妻は?
渡邉恒雄の妻は渡邉篤子さんです。
引用元 日経新聞
渡邉篤子さんは名門の家系に生まれました。
篤子さんは佐賀藩主鍋島家の分家に当たる血筋らしく伝統的な武士の家系だそうです。
篤子さんの職業は女優やモデルです。
東宝のスターとして映画や舞台、ファッション界でその名を知らない人はいないという存在でした。
渡邉恒雄との結婚
馴れ初めは友人の紹介だったそうです。篤子さんの誠実さや家庭的なところに恒雄さんが心を惹かれてアプローチ
1954年に結婚し家庭を築きます。
篤子さんは恒雄さんよりも4歳年下であり彼女の魅力に浸かった恒雄さんは愛妻家として知られることになりました。
篤子さんの晩年
篤子さんがくも膜下出血で倒れた時は、
“「2週間は出社できない」と電話で伝えた” 日経新聞より
ずっと病室で篤子さんの手を握っていたそうです。
篤子さんへの愛を感じますね。
このくも膜下出血を期に認知症を発症。
認知症を発症後も毎日キスしてから出かける習慣を守り続け愛情を示し続けたんだよ
篤子さんは2017年に肝硬変のため亡くなりました。
渡邉恒雄の両親について
渡邉恒雄の父
恒雄さんの父は現りそな銀行に勤める銀行員でした。
父は愛する家族を支えるために多忙な生活をしていたそうです。
しかし、その多忙さが体を壊すことになります。
恒雄さんが8歳の時、突然の吐血に見舞われ胃がんと診断されます。
この胃がんは取り返しのつかないステージまで進行していて、診断からわずか1週間後に47歳という若さで他界しました。
渡邉恒雄の母
恒雄さんの母は、夫の死後も5人の子供を育て抜き101歳まで生きました。
母はキリスト教を信仰していたらしく息子の教育に熱心であり、特に恒雄さんには高学歴を目指すように励ましたそうです。
渡邉恒雄の子供について
恒雄さんには一人息子の渡邉睦がいます。
睦という名前は恒雄さんが親のように尊敬していた自民党の大野伴睦さんから貰ったんだよ
名前 | 渡邉睦 |
生まれ | 1959年7月25日 |
学歴 | 中央大学附属高校 青山学院大学 |
職業 | 三井住友信託銀行 |
睦さんは、父の影響を受けて金融業界に進むことを決意し三井住友信託銀行に就職します。
睦さんはその後順調にキャリアを進めて三井住友トラスト不動産の会長を務めました。
恒雄さんは息子の教育に非常に熱心であり家庭教師を雇うなどして息子の学業を支援しました。
そんな恒雄さんはハダカの付き合いを大切にしていたらしく
睦さんと一緒にお風呂に入りながらコミュニケーションをとっていたそうです。
“1人息子は非常に親孝行でね、毎晩僕の家に来て、肩や身体を揉んでくれる”
と語っています。
仲睦まじいですね。
渡邉恒雄恒雄の孫について
恒雄さんには孫もいるそうです。
“今(2019年)高校生でしばしば僕の家に来てくれている。”
孫との関係も良好なのが伺えますね。
お孫さんも2024年現在社会人になっている可能性もあります。
メディア界か金融界で活躍する可能性が高いと思われます。